法律コラム

最近、被告人の自白調書が争われた恐喝事件で、当時、自白調書を作成した女性検事が裁判所で証人として尋問を受け、その中で、検事が作成した自白調書への署名を被告人(当時は「被疑者」)が断ったところ、女性検事が被告人に「ぶち切れますよ」と言ったため、被告人が自白調書に署名したという記事がありました。

「ぶち切れる」という言い方は、漫画から来た表現だと思うのですが、大げさで、多少可笑しさを伴う感じがあります。ただ、取調べで、女性検事からこう言われると、すごみがあったのかもしれません。

この記事で私が気になったのは、ぶち切れ発言よりも、この女性検事が取調べのときに作成したメモを破棄したことです。最高検から取調べのメモを適正管理するするよう通達があっていたにもかかわらず無視して破棄しているのです。正確な情報かどうかわかりませんが、大半の検事が取調べメモを破棄しているといううわさもあります。もし、事実なら、公益の代表を自負する検事として許されないことです。

 ところで、なぜ、検事が取調べメモを破棄するのか。取調べメモを残しておくと弁護人から取調べメモの証拠開示請求を受けたときに提出しなければならなくなり、その結果、裁判所に自白調書を採用してもらえなくなるおそれがあるからです。検事が有罪の立証のために無理なことでもやるという意味で、レベルは違いますが、大阪地検特捜部で証拠を改ざんした事件と共通した問題を感じます。  私は、こうした事態を防ぐためには、一刻も早く、取調べの全面的な可視化をすべきだと考えています。


紛争の解決法

投稿者 admin 日時 2011年2月6日

AがBに対し、例えば、貸金100万円を返せといった、法律的要求を持っている、としましょう。しかし、Bは、例えばそんなお金を借りてはいないなどといって、この要求に応じようとしない、としましょう。いくらいっても返さないので、仕方なく、Aがこの要求の実現をあきらめてしまえば問題は収まり、もめごと状態はなくなります。しかし、Aがあきらめずに、何らかの方法でBに対し要求の実現を求め続ければ、A・Bは紛争状態、つまり、もめごとの状態にあるといえます。

 

紛争状態の解消(紛争解決)の道筋は、一般的にいえば、大きく二つあります。
一つは、どういう形であれ、当事者が協議して、相互に同意できる解決案を見つけることです。これを話合い解決と呼びましょう。
ただ、当事者がいくら話し合っても、双方の主張が大きく隔たり、解決案を合意する見込みがなければ、話合い解決は出来ません。先ほどの例でいえば、100万円の貸借の事実そのものについて、双方で認識が違えば、話合い解決の見込みはないと言っていいでしょう。
もう一つの方法は、全くの第三者にいずれの主張がどのくらい正しいか判断してもらい、当事者双方ともその判断に従うという方法です。これを法的解決と呼びましょう。これは紛争を解決するために社会が用意したシステムで、裁判で解決するというのが法的解決の典型的方法です。日本では、「裁判沙汰」などといって、訴訟手続を忌み嫌う雰囲気がありますが、裁判によることは恥ずかしいというようなことではなく、話がつかないときに公正なルールに従って第三者に判断を委ねる正々堂々とした社会公認の解決方法ということが出来ます。

 

 紛争状態に入り込んだ当事者は、その解決のため、まず相手と話合いをすることから始めてもよいし、初めから裁判など法的手続に着手してもかまいません。
話合い解決のメリットは、合意さえ出来れば、また、時間をさほどかけなくとも、紛争が終わる可能性があるという点です。問題は、双方の合意が出来なければ解決をみないという点ですから、合意の見込みがあるかどうか、早期に見極めることが大事です。
合意を考える点でのポイントは、この紛争の内容が第三者の目から見てどう見えるか、という点なのです。それは、結局話合い解決が出来ず解決のため法的手続に移行した場合には、第三者が解決案を決めるのですから、例えば裁判の場合でいえば、どういう判決が見込まれるかという点を考えることです。
簡単な話、裁判をしても負けそうであれば、話合い時点で、大きく妥協をした方がよいでしょうし、逆のことも言えます。
ですから、双方の紛争当事者自身が紛争を客観的にみることが出来れば、法的手続によることなく話合い段階で早く解決する可能性が大きくなります。しかし、紛争を第三者の目で観察することが出来る当事者はまれでしょう。紛争当事者はどうしても自分自身の立場で、すなわち主観的に、紛争に関わることになります。それはそれで仕方ないのですが、そうなると、その事案を、その当事者の立場に立ちながらも、第三者の目で見てくれる専門家に見てもらって参考にする、、すなわち弁護士に相談をするというのが賢いやり方ではないでしょうか。
紛争自体の分析や解決方法の選択など、第三者の目で見た助言を参考にしながら解決の道を進む方法をお勧めしたいと思います。

法律用語の使い方について

投稿者 admin 日時 2011年1月31日

 法律に用いられている用語や,法律家の用いる言葉には特殊なものがいくつかあります。
 代表的なものを幾つか取り上げてみましょう。


 「悪意」 日常生活では,他人を憎み,害を加えようとする気持ちのことを指しますが,民法の中で用いられる場合,単に特定の事実を知っていることを指し,価値判断は含まれていません。
 「業務」 日常生活では職業上の仕事のことを指しますが,刑法の中では,"人が社会生活を送る上での反復的な社会活動や私的な行動"という意味になります。
 「果実」にも,法的な文脈で用いられる場合には,家賃や利息などある物から生じる収益物全体を指すことになります。
 その他,接続詞や副詞の使い方にも特有のきまりがあります。

 どの専門分野にも特有の表現やことばはあるものですし,文章の意味を正確に伝えるためにはそれなりに有用であることは間違いありません。
 しかし,法律が社会一般に通用する規範として存在していることに照らすと,法律用語もあまり日常生活の言葉と離れるべきではないといえますし,もし法律用語の特有さのために法律が使いにくいとか,法的な手段をとることに躊躇するようなことがあるなら,それは解決するべき問題であると思います。
 近年,民法や刑法,商法など主要な法律が現代語化されるなど,法律の条文もできるだけわかりやすくすることが目指されています。私達実務家も,意味の正確さを保ったまま,わかりやすい表現を用いていかなければならないと思いながら,仕事に取り組んでいます。


弁護士の変化

投稿者 admin 日時 2010年11月15日

いま進んでいる司法制度改革の中で変わってきたものの一つに、あるべき弁護士の姿があると思います。
司法制度改革審議会の意見書の中で、弁護士は「社会生活上の医師であれ。」と言われています。それはどんなイメージなのでしょうか。
 
もちろん、弁護士は法律の専門家ですが、法律家の中でもいわゆる在野、つまり民間の人々の中で働く法律家です。しかし、民間で働くといっても、以前の弁護士は、いわゆる市民からは一段高い立場にあって、いわば、教え導くというイメージがあったと思います。

 「社会生活上の医師」というイメージは、弁護士像を大きく変えることを求めています。第一に、それは人々の一段上にいる者ではなくて、同じ市民として、同輩である市民に対し、求めに応じ助言をし、あるいは依頼を受けて代理を務める法律専門家、というイメージです。第二に、市民に対し助言をするとか代理を務めるときに、俺に任せとけ、というお任せコースではなく、あくまで相談者・依頼者の主体性を尊重し、依頼者市民が主体性を持って行動できるよう援助をする専門家、というイメージです。
 
 私は、基本的にはこの二点が、今からの弁護士に求められている姿、「社会生活上の医師」のあり方だと思っています。
 
 司法制度審議会意見書は、弁護士が総体として、このようなイメージで「社会生活上の医師」としての機能を果たせば、それは、国民が主体的に社会生活を行う面を伸張させることに役立ち、ひいては、この社会を前進させる力になると考えているのです。
 
 私どもの事務所は、このような新しい弁護士像を目指して進んでいきたいと考えています。